韓国を眺めるブログ
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韓国の「恨」
韓国は「恨」の国と言われるときがあります。いや、言われるというよりも、韓国人自らが「恨」を自分たちの文化であると言い切る場合もあります。


この「恨」ですが、日本で言うところの「恨み」とは違うと言われています。そして、韓国を研究している人たちや、韓国が嫌いな日本人も、"韓国の恨"と"日本の恨み"は違うと、漠然とでも理解しているようでもあります。


しかし、この「恨」をよくよく調べてみると、やはり日本で言う「恨」となんらかわらないということがよくわかると思います。


何が違うかと言えば、日本では「恨む」という行為自体が仏教での「悪い行為」にあたるため、隠すべきものであるのに対して、韓国人は隠さないということなんだと思います。

普通の日本人だったら、人前で「私は○○に対して恨みを持っています」ということはほとんどないでしょう。あったとしても、それはかなり自棄な行為だと認識しながらでしょう。


韓国の「恨」が、日本での「恨み」とほとんど変わらないと理解したうえで、少し興味深い点があります。


それは、「恨の国」といいながらも、韓国人は過去を振り返らない気質も持っているということです。併合時代のことは昨日の事のように言う割には、朝鮮戦争やその後の長い長い貧しい時代のことについては、今の韓国人は忘れてしまったかのように言います。もちろん、レトロブームのようなものはありますが、自分たちの歴史の、いわゆる汚点を掃除したがるように見えます。こういうところは、儒教的な善悪二元論ゆえなのでしょうか。

もしかすると、「恨」自体が、この儒教的善悪二元論と関係しているのかもしれません。つまり、自分たちの歴史や評判は、常に善の側でなければならないのかもしれません。善で無い点については、それこそ潔癖症のように嫌がり、傷つくのです。善でない部分、汚い部分については、徹底的に掃除するか、見ないことにするのでしょう。


また、これに関してもう一つ思うのは、ユダヤ教徒やイスラム教徒もまた、歴史上の恨みを昨日のことに言う傾向があることです。

これももしかすると、その宗教においての善悪の観念と関係しているのかもしれません。


ちなみに、この善悪二元論は、権力者にとって都合のよいものだそうです。

わたしなりに解釈すれば、たとえば、戦争をやるときの大義名分などにはかなり使えそうです。

キリスト教や仏教でも善悪二元論はあるとは思いますが、本質的な意味においては、戦争はやりにくい宗教だと思います。その為、解釈にアレンジが付け加えられていくのでしょう。


また、韓国の「恨」について、もう一つ注目したい点は、なぜこれが「文化」といえるのかということです。「恨」は日本人の「恨み」とほとんど同じものですから、つまるところ、非理性的で感情的な事象なのです。普通、文化とは理性や知性を用いて生み出され、研究・発展していくものではないでしょうか?


つまり、われわれ日本人にとって興味深いのは、「恨」自体ではなくて、「恨」を「文化」としてしまう、韓国の国民性ではないでしょうか。

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テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術



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